マメじゃないこまめの考えごと

アウトプットが苦手なわたしの、考えごとを綴ります。やっている資産運用のことやこれからの投資のこと、読んだ本のこと、妊娠生活のことなど諸々。いつかしっかりブログ運営をするために、今はとにかくアウトプットします!現在35歳の専業主婦です。夫婦二人と息子一人、猫一匹で暮らしてます。

【稽留流産の記録】追記

こんにちは、こまめです。

今日は今までとまったくジャンルの違う話です。

 

別ブログにあった流産記事を移しました。

記事を読みながら改めて振り返ってみると、やっぱりつらい経験でした…

だからこそなおさら、今おなかにいる命がとても愛おしく思えます。

 

もし流産と宣告されてこのブログにたどり着いた方がいらっしゃれば

少しでも役に立てていただきたく、

振り返ってみて今の気持ちを綴りたいと思います。

 

ブログ記事にした理由

32歳ではじめての子供を授かりましたが、8週目で稽留流産と診断され手術。
稽留流産ということすらほとんど知らなかったため、不安と悲しさでいっぱいで何も手が付けられない状態でした。
まずは自分に起こっていることを調べようと思いスマホでネットを調べまくった結果、すごくたくさんの方がブログで経験談を載せてくださり
それにどれだけ勇気づけられたかわかりません。
何かのご縁でこのブログにたどり着いた方の不安が少しでも和らぐように…自分だけじゃないと思ってもらえるようにと思って書きました。

 入院、手術、その後

私は比較的、回復が遅い方だったと思います。

術後1週間は、何らかの痛みがあって、外出や仕事は不安でした。

そのため、仕事も休ませてもらっていたのですが

復帰にあたり上司とのコミュニケーションロスからトラブルに…

予想以上に休む期間が長くなってしまいました。

 

当時就いていた職業は土日休みではなく、

夫は土日休みだったので

久々に夫と休みが合う感覚を味わい、あーこんなのもいいなーと思いました。

その時から仕事を辞めることを考え始めました。

 

8月に化学流産

術後二回生理を見送って、その後妊娠が発覚。

年齢が33歳だったので、できるだけ早く次のチャレンジをしたかったんです。

そしたら奇跡的に一度目で妊娠。

 

ただ、妊娠検査薬が予定日か1週間経っても濃くならず

ずっと薄いまま。

婦人科でも検査してもらいましたが、陽性反応は間違いなく出ていると。

エコーではまだ見えないと言われました。

 

その後、すぐに出血。

診察を受け子宮収縮止めの薬も飲みましたが出血止まらず、

しばらくして妊娠反応もなくなりました。

出血がちょうど金曜で、診察も金曜に受けたのですが

土日ずっと出血が続き、月曜に再度診察を受けた時にはもう陰性反応になってしまってました。

 

流産したときと違う病院に行ったのですが、

受診した先の先生はとてもいい人で、流産したことも丁寧に聞いてくれて

 

「今回のことを流産ととるかとらないかは微妙なところ。

流産ととってしまうと、二度目の流産になるから、検査した方がいいかなと思うけど

普通の生理として受け止めることもできるようなタイミング。

どちらと考えた方が○○さん(私)のためになるかな。

前向きに捉えられるように考えていいよ。

流産が続いて、検査したとしても、何も見つからないことの方が多いけど

全部調べて、調べたけど何もなかった!と前向きになれるならそれもいいと思う。」

 

と言ってくれました。

陽性反応を見ていただけに、普通の生理として考えることは難しかったですが、

そんなに重いことでもない、と考えることにしました。

 

そしてこの頃から、

知らない間に疲れやストレスがたまっていて妊娠継続がしづらくなっているんではないか?

と思うようになり、

術後仕事復帰の際に会社と色々すれ違いもあったことから

真剣に仕事を辞める方向で考えました。

 

仕事は比較的好きだったし、楽しかったけど

それよりも家族のことを考えたかった。

産休も育休も本当はとりたかったから、すごく悩んだけれど

それは自分の人生や家族と引き換えにしてまでほしいものではない、と気づいたんです。

 

もちろん、仕事が原因と決まったわけではありませんでしたが

もし次に子供を授かったら、

休みたいときに休み、無理をせずお腹の中で育てたい気持ちが強くなっていました。

 

休める制度などはあるにはあったのですが、

何せ職場が少人数だったので(全部で4人)

一人が休むと大変になる環境で、多少の体調不良は我慢しないといけない状況もあったんですね。

 

色々な人に相談して、

最終的に年内で退職することを決め、上司にも伝えました。

 

退職後

8月に辞めることを決めて、それからしばらく妊活は中断。

12月に退職して、その後すぐにでも再開したかったけれど

夫がまさかのケガ!

骨折してしまい、入院・手術になってしまいました…。

 

幸い、手術すれば治るような骨折だったので、よかったのですが。

夫の回復を待って、2月頃から妊活を再開しました。

再就職も一応考えたけれど、

今就職したら辞めた意味がない、と思ったので

積極的には就職活動はしてませんでした。

 

4月に妊娠発覚

排卵検査薬でタイミングをとる、ということをしていたら

4月に妊娠検査薬陽性反応が出ました!

それでも、しばらくはこわくてこわくて仕方なくて

喜ぶこともこわかったです。

喜んだらまた流産してしまったときに悲しくなる…そう思って。

 

特に流産してしまった8週を迎えるまでは

本当に毎日こわかった。

出血があるんじゃないかとトイレに行く度おびえていたし、

まだ寒かったので過剰なまでにあたたかくしたり。

 

9週をむかえて母子手帳がもらえた時はうれしかったけど

その後の健診が4週ごとになるのでやっぱりまだ不安でした。

1ケ月あったら何があるかわからないじゃないですか!

でも、今の医療技術では初期に何かあっても何もしようがないから

きっと4週ごとなんでしょうね。

わかっていたけど、不安でした。

病院に行く日は毎回夫に「こわい」と言っていたし

診察室に入る前は深呼吸していました。

 

お腹が痛いな、とか異変を感じた時には

出血がなくてもすぐに病院に行きました。

 

安定期に入っても油断はできない!と思っていましたし

何なら今だって全然安心できません。

きっと生まれてくるまで不安は尽きないんだと思います。

18週からは胎動を感じることができたので

感じるたびに少し安心できています。

その頃からやっと、妊娠の喜びを感じることに怖さを感じなくなってきたかな。

 

この経験が教えてくれたもの

稽留流産と化学流産は、つらいものでした。

誰にも経験してほしくない出来事です。

 

でも、宿ってくれた命が、

「今のまま働いてたら倒れちゃうよ。

もっと家族や自分の時間を作ってよ。

それは今だよ。」

そう教えてくれたような気がするんです。

お蔭でまた戻ってきてくれた命が今健やかに育っているんだと思います。

 

あの経験があってよかった、とは思えないですが

短い間でもお腹に宿ってくれた命があったからこそ私は

働き方を見直し、

家族との過ごし方を見直せたんだと思います。

そうして今幸せに暮らせていることに感謝して

生まれるまでもう少し、お腹の命を育みたいです。

ただただ無事に生まれてきてほしい、そのことだけ今は願っています。